センター講義 評論の読み方講座2

 2019年センター試験の第1日が終了しました。文系科目のみの受験生を迎えながら、問題を総覧しました。センター試験の国語については、無理な出題が減ったように思います。2011年~2014年に無茶をした(平均点2桁のときもありました)反省が効いているようです。ただし、素直な出題は、力の差が如実に出るので、安易に考えることは避けたいですね。

 まだ、現代文の細かい分析はしていませんが、「図」の出題はありませんでした。次の講義録は、センター直前、年末に理系の子たち向けにおこなったもののログになりますが、図があるかどうかなど、結論から言うと、どうでもいいっていうのは当たりました。寧ろ、ぱーっと解いた感じ、素直な出題で良かったと思います。

 古典(古文、漢文)は良問です。易しくなっている、それは間違いないのですが、分量・レベルともに、センター試験という試験の趣旨に鑑みれば、適切な出題かと思いました。力あるものはちゃんと取れる、という試験になっています。

 全体として、運の要素がずいぶんと減って、いいセンター問題になりました。これなら、センターやめないで(笑)

 古文の「玉水物語」は良かったですね。ちゃんと読める人は、続きを読んでみたくなるような文章はナイスセレクト。ネット上では、「百合物語」なんて言っている人がいますが、そんなのは失礼。それでは点数は取れません(笑)。

京都大学による玉水物語のおたのしみサイト

 

それでは、本題です。一応、私の受講生のための講義になりますので、センター直後の公開となりましたが・・。

 

今回のテーマは、具体例の取り扱いです。素材は、センター2018年評論文。

<本日の設問たち>

問2 傍線部A「講義というような、学生には日常的なものでさえ、素朴に不変な存在とは言いにくい。」とあるが、それはなぜか。【理由説明】【具体例の取り扱い】

問3 傍線部B「図1のように」とあるが、次に示すのは、四人の生徒が本文を読んだ後に図1と図2について話している場面である。本文の内容を踏まえて、空欄に入る最も適当なものを選べ。【新傾向…(でもない)】→【具体例の取り扱い】

問4 傍線部C「このことは人間を記述し理解していく上で、大変重要なことだと思われる。」とあるが、どうしてそのように考えられるのか。【理由説明】

問5 傍線部D「「心’理学」の必要性」とあるが、それはどういうことか。」【単純解釈】【テクニカルターム

問6 この文章の表現と構成について (i)段落の表現について【冷静に】 (ii)この文章の構成について【論理の組み立て】

 

近年のセンター国語の傾向(別所にて公表)

 新テストでは,資料や図面が与えられる出題が見込まれる(試行テスト参照)が,2018年度はセンター試験において,初めて図が与えられ,それに関する出題(問3)があった。とはいえ,別段の対策は不要であり,臆する必要はない。当該設問について要するに,本問の図は,例えばグラフ等のように,図自体に特段の意味があるわけでもなく,本文中の具体的説明(例)の一部に過ぎない。具体例から抽象論を推論(なお,最後の設問で本文構成を聞いているが,それでズバリである)することがままある現代文,そしてセンターでは,度々と具体例に関する出題が「問3」でなされてきていることからすれば,通常の思考で事足りる。従って,来年以降も「新傾向だ」と図が出るともないとも分からないが,何ら動じる必要は無い。寧ろ,図のある評論など,ごまんとある(「戸惑った受験生も多いことだろう」,という指導者側のコメントが多数あるが,戸惑う必要はない、ということを受講生には伝えたい)。

 全体的には,理由説明の割合が多く,本文が長いためテンポの良さを鍛えることが必要である。もっとも,ここ数年はことさらな難読文や時間的に無理のある設定はなく,素直な出題になってきている。

 

【講義録】

 今日の授業を通して何が言いたいかということですが、

図表があっても、具体化の一手段にすぎない。→【具体例の取り扱い】

理由説明問題の比重が多い→【理由説明の手順を前回を踏まえて再確認せよ】

【構成】を問う最終問題は、類型化すればたやすい上、ある程度フォームは決まっている。  

 前回の内容も多分に含まれるため、【理由説明】については復習にとどめ、本日は【具体例】に重点を置きます。まず、本文の解説をする前に、机上事例を用いて今回の重点に関する読解法を概観しておきましょう。

1.具体例の取り扱い

 次の文章を読みましょう。

 漫画やアニメ、小説、映画といった創作物における、最終章の閉じ方はどうあるべきか。 思うに、創作物の最終章において、「いかにもな口当たりの良さ」をとってつけることは蛇足である。口当たりが良いこと自体は別に悪いことではない、大衆が望む結末を安易に求めることがまずいのだ。

 という意見(独断と偏見の机上論)があるとしましょう。納得できますか。 これを今回の課題文に合わせるならば、

 デザインとはいかなるものか。

 それは、人間が、現実を文化的意味と価値によって変化させることである。 (前半部分のみ)

 こんな感じの物言いになるでしょうか。では、机上論が次のように書き直されたとしましょう。

 漫画やアニメ、小説、映画といった創作物における、最終章の閉じ方はどうあるべきか。例えば、「君の名は」という映画をご存じだろうか。

 聖地巡りなどの社会現象化した大ヒット作品である。

 作中は、時のすれ違いの中で男女が想いを深めながらも、そのすれ違いが決定的なものとして・・・(略)・・・少年は少女の住んでいる街が隕石によって消滅したことを知るわけだ。すれ違いは決定的なものとなり、少年はその真実を知るために・・・(略)・・・

 しかしだ。実は「避難訓練」しておりまして、隕石の被害には遭わなかったので、再び二人は出会いました、という結末は、あまりにも口当たりが良すぎる。「避難訓練」して助かるのであれば、再び二人が出会うことは、簡単に予想が付いてしまう。「避難訓練」は、それまでのすれ違いの伏線や重みを背負うには、ありふれすぎていると言わざるを得ない。

 結末に、ハッピーエンドを望まぬ訳ではない。伏線の重みを背負い投げる覚悟のある最終章がなかったことで、作中の伏線や物語の展開は置き去りに・・・描写が美しい作品だけに、・・・(略、あまり言うと怒られそうなのでやめます)

 このように、創作物の最終章において、「いかにもな口当たりの良さ」をとってつけることは蛇足である。口当たりが良いこと自体は別に悪いことではない、大衆が望む結末を安易に求めることがまずいのだ。

 どうです、一応の説得力は出てきたと思いませんか(賛否はさておいてください(笑))。

 大学入試に限った話ではありませんが、論説文は具体例がちりばめられています。それはなぜか。

 理系の人にわかりやすいように説明するならば、現代文の世界は、帰納法(さまざまな事実や事例から導き出される傾向をまとめあげて結論につなげる論理的推論方法)が基本の論理です。

 数学や法律の世界では、演繹法(一般論やルールに観察事項を加えて、必然的な結論を導く思考方法)が用いられ、現代文とは少し違った世界があります。

 「例えば」、次のような話をしましょうか。

 数学の世界では、「二辺とその間の角がそれぞれ等しければ、二組の三角形は合同である。」という究極の真理(定理、公式)が前提としてあります。これは揺るがないわけです。それを目の前の紙に書いてある二組の三角形(具体的事案)についてもそういえるのかを観察し、当てはめて合同を証明する。

 文系の方のためにも、例えば刑法という法律では、「人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する(傷害罪、刑法204条)。」という抽象的な定めに留まります。実際には、具体的な事件が発生して、「部活の顧問から身体を傷害するに足りない程度の体罰(ビンタ)を受けた生徒Aが、よろめいて近くの生徒Bにぶつかり、生徒Bが転倒して頭を打ち、全治3週間の怪我を負った」ケースが果たして傷害罪にあたるのか、という検討がなされるわけです。

 このような抽象論から具体的問題への当てはめを演繹法といいます。数学の問題を解くというのは99%その論理に従うわけです(例外が数学的帰納法であるが、それは現代文のそれとは全く違うため、数学的なわけです)。

 では、現代文の世界の帰納法の事例は何か。「私は、杉並で黒いカラスを見た。続いて、新宿でも黒いカラスを見た。熊本でもそうだった。よって、カラスは一般的に黒い鳥であるといえる。」この、事例に基づく傾向分析から抽象論に繋げる方法が、帰納法です

 よく考えると、数学の世界を除けば、君たちの頭の99%が、帰納的思考になっているはずです。「あれがない。そういえば弟がこないだ勝手に使ってた。よって、あれがないときは、弟が犯人だ。」に留まらず、近代的社会科学とは、「徹底した抽象思考を目標とする」ことに慣れることから始まりました。

 したがって、社会を題材とする現代文は、帰納法で記述される(ことが基本、これも帰納的な帰結です)。

 では、設問では、この帰納法にどのようにアプローチすべきか。さすがに机上事例ばかりだと長くなるよくないので、実際のセンター事例から抜粋します。

1-1 演繹的解法 例題(センター11年本試験改題)

(略)商品としての情報の価値とは、まさにその情報を利用する人が他の人とは違ったことが出来るようになることであり、その産出にどれほど多くの労働力が投入されたかとは無関係である(記述を設問のためにかなり改めた)。(略)Bいわば情報そのものを商品化する新たな資本主義の形態(略)

【問3】B「いわば情報そのものを商品化する新たな資本主義の形態」とあるが、その具体的説明として適当なものを選べ。

①有料チャンネルは、各自の好みに応じた娯楽を提供する。

②多くの労力を必要とする工業生産物よりも特許や発明のほうが労力がかからないため、価値を持つようになる。

③刻一刻と変化する株価などの情報を、誰もが同時に入手できるようになり、社会的な価値が増大している。  

 この設問は、演繹的解法で処理します。すなわち、傍線部箇所が抽象論になっており、それを適切に当てはめた具体例を選ぶ形式です。抽象論から具体例への落とし込みです(数学と同じ、演繹の流れに沿います)。本文自体は、基本的に歴史的考察によって帰納法で記述されているのですが、傍線部が「抽象論」に引かれており、「具体的説明=具体例」を選べと、出題者が演繹法で解決するように作られた「意図的な演繹の出現」形式です。センターに限らず、近年の頻出形式です。

 もう少し具体的に思考の流れを整理します。

1.傍線部が抽象論であることに気づく&設問に「具体的説明」と「具体的」がついている。

2.抽象論の解釈を行う。本文にもっとわかりやすく述べた箇所が絶対にあるので探す。

3.2.の解釈に基づいて、「当てはめ」を行う。

 この事例問題では、まず傍線部の「情報そのものを商品化する」(抽象論)の解釈が問われ、本文に「他の人とは違ったことが出来るようになると商品として価値を持つ」とあるので、①有料チャンネル(お金を払った人だけがサービスを受けられる)が当てはめとして正解、という流れです(2018年ではこの形式での出題はありませんでした)。

1-2 帰納的解法

 2018年の具体例問題では、ずばり帰納的解法が求められました。というか、基本的に現代文の問題は、理由説明、単純解釈を含め、原則として帰納的思考によって行います。2018年の問題は後ほど取り扱うことにして、机上事例からいきましょう。

 A現代文の世界は、徹底した帰納法で一貫している。数学では、真逆の世界になっている。数学の世界では、「二辺とその間の角が等しければ、二組の三角形は合同である。」という究極の真理が前提としてある。これは揺るがない。それを目の前の紙に書いてある二組の三角形についてもそういえるのかを観察し、当てはめて合同を証明することになる。

 これに対し、B現代文の世界では「私は、杉並区で黒いカラスを見た。続いて、日野市でも黒いカラスを見た。熊本県でもそうだった。よって、カラスは一般的に黒い鳥である。」ということになる

 近代的社会科学は、「徹底した抽象思考を目標とする」ことに慣れることから始まった。したがって、社会を題材とする現代文は、帰納法で記述される。

 Q1.なぜ傍線部Aのようにいえるのか。

 Q2.傍線部Aとはどういうことか。

 Q3.傍線部Bのようにいえるのはなぜか。

 ※Q1とQ2は違う箇所が根拠になりそう。そのような選球眼も持ちましょう。

 ※Q3だけは、具体例箇所に傍線がありますよね。

■具体例は理解の手助けとなる

 まず、Q1とQ2においては、「帰納法とは何か」という解釈がまず必要になりますよね。理由説明でもまず解釈からというのは前回説明しました。しかし、今回は、その定義は書いてないわけです。そこで、「具体例」が手がかりとなる。つまり、現代文は帰納法で記述されることに加えて、具体例は「抽象論」をわかりやすくするための手がかりになる、ということです(加えて、というより問題を解くという意味においては、こちらのほうがテクニックとしては重要です)。

■具体例を支える抽象論は?

 Q3はどうか。具体例に傍線がある。なぜ、具体例のようなことがおこるのか。これは、それに呼応する抽象論を探せということです。例えば、「なぜ、この二組の三角形は合同といえるのか」と問うているんですよね。でも、数学のような自力の証明は不要です。その具体例が一体何の具体例として挙げられているかを探し、必要に応じて解釈をすれば良い。

 では、2018年の問2を見て下さい。A「講義というような」はい、具体例に傍線が引かれました。Q3の形式になりますね。

 ※復習の便宜のために解説を書くなら、直前の一文がズバリ抽象論です。これをただしく記述した選択肢②を選びましょう。

 1-3 2018年【問3】形式(新傾向?)

 確かに、問いの形は特殊ですね。生徒の会話が出てくることは既出ですが、図を使ったのは初めてという意味ではね。しかし、図のない論説なんて巷ではめっきり減りましたよ。図でみれば百聞に一見にしかずのものをくどくど書くのは迂遠ですから。

 では、今回は2018年【問3】を事例にいきます。傍線部Bの周辺は、どうなっていますか? 

 あるモノ・コトに手を加え、…(略)…世界の意味は違って見える。例えば、B図1のように、湯飲み…(略)珈琲カップとなり、指に引っかけて…ようになる。このことでモノから見て取れる…(略)…つまりアフォーダンスの情報が変化する。  モノはその物理的なたたずまい…(略)…というのがアフォーダンスの考え方である。

 はい、つまり、図1=具体例に傍線が引かれていましたというに過ぎません。ご丁寧に、直前に「例えば」とあるではないですか。では、何のための具体例か。上記で書き抜いた箇所の抽象論に対する具体例です。  

 ただ、一つだけ、困ったことがありました。従来はその作業で解けたのですが、少し手の込んだ出題になりました(これこそが新傾向というなら正しい)。というのは、傍線部は「図1のように」だけなのに「図2」についてまで一緒くたに問い、さらに、生徒の会話の文脈に合うように選択肢を選ばせたからです(しかし、設問には、図1と「図2」と明示があるので、別に不意打ちではないですが…要は、傍線部を2箇所に引きたくなかったんですよね(笑)苦労が垣間見えます。設問は丁寧に見るようにしましょうね!)。

 では、図2も、具体例として与えられているわけですから、何のための具体例か、探しましょう。12段落の冒頭に「こうしたモノの物理的な…変化につながる」・写真の下に「図2:アフォーダンスの変化による行為の可能性の変化」はい、これです。  これで、選択肢は②と⑤に絞られそうです(というか、実は②の「無数の使い方」は相当アヤシイことも分かったりしますが…)。

 あとは、②と⑤のどちらが生徒会話の文脈にふさわしいか。

 そこで、空欄周辺の生徒の会話を追うと、直後に、D君が「そうか、それが「今とは異なるデザインを共有する」ことによって、「今ある現実の…知覚することになる」」とご丁寧に本文を引用してくれています。つまり、その箇所までは本文は読みましょう(13段落まで)ということをヒントとしてくれているわけです。そうすると、13段落に、「これらの容器に関してひとびとが知覚可能な現実そのものが変化しているのである」とある。最後に、「現実」の解釈をすればおしまい。 これで②の「無数の使い方」はドボン。⑤ということになりました。

 ※複数の作業を素早くこなす処理速度が問われています。近年は、文章は極めて読みやすく、より処理速度に重きを置く方向に変化しています。センターの数学みたいですね(就職試験などでは今に始まった話ではない)。

 

番外編【テクニカルターム】の扱い

つまり、専門用語の扱いですね。2018年の出題で言えば、「アフォーダンス」とは専門用語です。このような繰り返される専門用語は、絶対に、定義にマーキングをすること。センターでは過去に、専門用語の誤解や取り違えの事例が見受けられます(次回以降の演習編で取り扱うことにします。別に長々説明する箇所ではありません)。