「日誌をつけること」の重要性(1)

 チェーザレパヴェーゼは「日記」の本質を,自己に執着することのフェティシズムと捉えました。

 自己に執着するとは語弊がありますが、「絶えず自己にまつわる記憶を喚起し、それを想像力に結びつけて、存在の感覚を確認する」という点に求めました。すなわち、日記の本当の目的は、毎日つけるだけという単なる自己集積フェティシズム(収集癖)ではなく、繰り返し読み、加筆することで自らの考えを洗練させていく執着と捉えたのです。

 このことは、「日記」にとどまらず、例えば会社員が作成する「日報」・「週報」・「日誌」や学校で書かされる「勉強日誌」でもなんでもいいですが(以下、まとめて「日誌」ということにします)にもよく当てはまることだと思います。

 私なりに、日誌をつけることの意義を考えてみました。

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私のグループウェア画面(日誌用付箋)

 

人間は寝たらいくらか忘れる生き物である

私の記憶は90分しか持たない」とは博士の愛した数式の有名な一説。

そうではないにしても、1日単位で完結しつづける人生などありえず、日々有機的一体として昨日も、今日も、明日も「私」は続いていきます

仕事でも、勉強でも、中長期的な視野で日々のタスクを積み上げていくことが求められ、そして成果を出すことが重要です。

しかし、どんなにある日、仕事を詰めて行って翌日に繋がるようにしようと、また、どんなにある日勉強を詰めて詰めて、また、明日途中から再開しようと、何も記録がない状態では、寝て起きてさあ、始めようとしたときに、「えっと昨日はどこまでやってどこからだっけ?」というふうになるのではないでしょうか。

人間、寝ているうちに記憶の再編が行われますが、そこで自分自身の脳内でどんなことが行われているかは神のみぞ知る(笑)。寝ている自分を意識的にコントロールすることなどおよそ不可能ですから、寝て覚めたら、もしかすると何かを忘れてしまっていることだってありうるでしょう。

「寝たら、怒りも冷める」ともいいますが、「寝たら、昨日の仕事や勉強への情熱もいったんリセット」ってなるかもしれませんよ。

気持ちも即時ONにして、タスク内容も昨日とスムーズに連携を、ってのは(私はよく寝るので)結構難しいです。受験勉強をしている時代はだらっと午前中が過ぎたりしていたわけです。

しかし、寝ないわけにはいかないですから。どうしたもんでしょうか。

日誌は日々の終わりに書くものにあらず

そんなときに、私がマメに実戦していることは、日誌を書くことです。それは、毎日つけるとかそういうレベルではなく、

  • 1日何回も、随時つけること。
  • 上書き、追記、修正、何でもOK
  • そのとき思ったことでも、なんでもかんでも一切合切書いていく
  • 箇条書きで結構、がんがん書いていく

受験生時代は、ノートを使っていました。日誌用として。

仕事を始めてからは、付箋やミニノートにどんどん書いていたのですが、昨年より、私の肝いりでそういう機能に長けたグループウェアを導入しまして、画面付箋機能を使ってやっています(社内研修ではひたすらそのメリットを伝え続けています)。

そして、最後に、「日報」として、その随時綴られた「1日の私」を見返しながら、まるっとコピペするような感じでまとめます。もちろん、他者に共有するための日報であれば、別に加除訂正を行いますが、とりあえず自分の日誌をまとめるという意味では、そのまままるっと保存用のレイアウトに、項目を種類別に整理しながら転記します。

また、「明日の自分へ」の段落も必ず挿入します。明日の自分へのお手紙です。

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ある日の日報(800字以上)※企業秘密のためボカシ

 そして、翌日、「昨日の自分」からのメッセージとこの日報を呼んで、「昨日の自分」を追体験します。そうすれば、「ああそうだった」もあれば「よし、今日はここからスタートだ」と、新しい1日が始まるわけです。

人間誰しも寝て、忘れる生き物です。寝ることは幸せのひとつ

しっかり寝ながらも、しっかり日々を連携する、日誌をつけることの大きな意味が、それだけでもあるような気がしませんか。

 

 第1回の日誌をつけることの重要性は、ここまでです。

 次回以降は、私だけにとどまらず、東大などに合格した卒業生の事例を交えながら、実質的にどういうメリットがあるのか、などについて掘り下げていきたいと思います。