問いの趣旨をはき違えない【小説編】

 昼間は季節外れに暖かい日々が続きます。11月、晩秋の季節なのに、一向に冬の足音は聞こえてきません。

 さて、本日は、理系の子たちに、センター対策の授業を実施しました。文系の子たちには毎週毎週国語の時間にお会いしてますからね。毎週数学を教えてはいますが、始めて国語を教える子もいます(数学の様子を見て、国語的なセンスはだいたい分かるものですけれど)。

 2001年センター試験(小説)を題材に、問いの趣旨をはき違えないための「あたり」の付け方を講義しました。

 津島佑子「水辺」より

 リード文:「私」は夫と別居し、娘との二人暮らしの日々がしばらく続いた。

 (夫との間に何があったかは不明です)

(略)・・・娘の父親であり、私の夫である男だが、私は既に一ヶ月以上、その男の知らない、知らせようのない、取り立てて大きな事件は起こらなかったが、その平穏なことに、かえって、これからの日々への恐れを膨らませずにはいられないような生活をしてきてしまっている。安定を保てるはずがないのに、一向に倒れず、それどころか、そのまま根を張り、新しい芽さえ覗かせようとする、ゆがんだ、こわれやすい、透明な一つのかたまりを目の前にしているような心地だった。それが見えるのは私の二つの眼だけなのだ。・・・(略)夫と再び、夫婦として、なにげなく顔を合わせるには、B私はあまりにも、この新しく手渡された不安定なかたまりに愛着を持ち始めていた

 

問:傍線部Bについて、なぜ、「手渡された」・「かたまり」という表現が用いられているのか。その理由として最も適当なものを1つ選べ。

①自分から望んだ状況ではないものの、「私」が娘を育てる責任を受け止めようと決意していることを表すため。

②別居という自体が自分の意思とは関係なく機械的に進行したことに、「私」がこだわっていることを表すため。

③娘との二人暮らしという意に沿わない生活を余儀なくされ、「私」がとまどっていることを表すため。

④夫との別居によってもたらされた状況が、「私」に重くのしかかってくることを表すため。

⑤先が見えない二人だけの生活を強いられたが、「私」がそこに何らかの充実感を覚えていることを表すため。

さて、問いの趣旨はなんでしょう?

教壇から降りて、見て回ったところ、①と③と④で合計6割くらいでしょうか。②はさすがに「機械的な進行」で切れるようです。

 某出版社の解説によれば、

「『愛着を持ち始めていた』と前向きな表現がある。⑤しかその前向きな表現がないため、いとも簡単に選択できる。」

 否定はできませんし、手がかりとして、心情把握では前向きか後ろ向きか、というような視点は悪くない。しかし、それが小説読解の公式です、と、汎用化させるにはちょっと雑な印象が否めません。

 さすがに、問題はわざわざ傍線を引き、そして、「手渡された」・「かたまり」とカギ括弧をつけて理由を問うているわけで、その問いの趣旨を無視して、要は小説読解はそんなもの(傍線部の心情さえ把握できればなんとかなる)だから、というのは(理詰めな私としては)食ってかかりたいところです。

 まず、表現の趣旨を聞いている問いですから、

 「手渡される」・・・受動態。「かたまり」・・・比喩。

 ざっくりと捉えます。すなわち、問いの趣旨は、なぜ受動態の表現になり、どのような内容を表すためにその比喩が用いられたか、を聞いているのではないかと(現場の短い時間では)考えるわけです。

 つづいて、傍線部がわざわざ一文に引いてあるのですから、その解釈は現代文としてやらないわけにはいかない。

 「この」という指示語はどれ?

 「新しい」とは。

 「不安定」とは。

 結局のところ、この3要素については、「かたまり」についた修飾語であり、その比喩が何を表しているのかを理解する上で役に立つでしょう。

 そうすると、まず、「かたまり」がどういう内容かは、傍線部の直前(=指示語「この」)をつらつらと丁寧に見ると「別居が一ヶ月以上続いてて、とりたてて大きな事件もなく平穏だが、かえって不安な状態」(=「不安定」)。だけど、「根を張り」、「新しい芽さえのぞかせようとしている」(=「新しい」)もの。

 「不安」だけど「根を張って新しい芽を」―逆説で結ばれたものですから、裏腹な感情が見えますね。

 次に、私に「手渡され」たのがこの「かたまり」ですが、別居を告げたのは、夫の方から、とある。なるほど、私がみずから手に入れたものではないわけですよ。

 ほぼ、表現の趣旨が見えてきました。選択肢を見渡してみましょう。選択肢の構造と問いの対応が分かると思います。

 すなわち、選択肢前段(前段、とは、句点の前をここでは言います)は、受動態の趣旨についての記述、後段(句点の後)は、「かたまり」の内容について、私がどのように考えていそうか、ということになっていますね。

 そして、選択肢後段は、私の感情に関する表現「愛着を持ち始めている」があるので、最後はそれも含めて整合性を取ります。

 前段については、②の機械的進行は、やばそうです。①、③、⑤はクリアしていそうですね。④は弱いかな?という気もしてきましたね(実際は、そんな微妙な判断は決め手にはなりません。当てにしない)。

 では、決め手は後段になります。先ほどの解釈と整合のとれるものは?

 ①「責任を受け止める」

 ②「こだわっている」

 ③「とまどっている」

 ④「重くのしかかる」

 ⑤「何らかの充実感を覚えている」

 確かに、先述の某参考書の言うとおりで、愛着を持ち始めている、に沿うものは、⑤だけかも、というのは否定できないですね。しかし、字面は前向きな表現でも、皮肉かもしれない。字面通りかどうかは周辺との相関関係で決まるものですから、安直に選ぶことは避けたい。むしろ、わざわざ問いの趣旨からきちんと解釈をした人にとっては、それは絞りをかける際の有力な援護射撃と言う方が正確だと思います。

 ※これは、選択肢の作り方がやや安直だった可能性があるわけです。もう少しダミーらしいものを忍ばせておいて欲しいし、実際はそういうことのほうが多い。

 根付いて、新しい芽をのぞかせようとするような「かたまり」は、先述の通り、不安とは裏腹の明るめの未来の暗示です。そうだとすれば、前向きな評価として愛着が用いられることは合理的です。したがって、内実ともに、愛着を持ち始めていることを前向きな表現と解して構わない。

 

 くどいですか?しかし、私はこのような厳密な解釈はまず、センターに留まらず、現代文の解釈では必ずすべきだと思います。現場で自信を持って選択肢を絞る武器になるのは、正攻法の思考法です。あとは、トレーニングの積み重ねが、それに早さを加えていきます。残り1年も要りません。これから1ヶ月でも、そういう意識で過去問と接することが、本番のあなたを支えます。どうぞ、急がば回れ、付け焼き刃に頼らず、丁寧に取り組みましょう。現代文は、量より質。速度も上がれば、量もついてきますしね。