評論文読解の基本類型(センター試験を題材として)

生徒に配布した資料になります。著作権に配慮しつつ、設問を少し分析します。

※アイドルの話が出ていますが、書き下ろしです。適当なことを書いています。

※理系向けの授業のため、「数学的」に説明をしたつもりです。

 

問2「これら・・・は当然出てくるものであろうと納得もする」とあるが、これはどういうことか。【単純解釈】【指示語】【不完全文】

問3「Aという言葉でいえば、むしろ、Bとでもいってもらいたいと思う」とあるが、それはなぜか。【理由説明】【対比】

問5「現在われわれがCにおいて必要としているのは、そういう種類の言葉の豊かさなのだと思われる」とあるが、筆者がこのように言うのは「現在」の「C」をどのようにとらえているからか。【対比】【指示語】

 

 今回の評論文では、以上の類型に基づき、その基本的な解法について机上事例を用いて解説したあと、実際に本文にマーキングした資料を配付して今回の設問の解説を行います。

※近年の傾向である【具体例からの帰納(図表含み)】・【具体例選択】【専門用語の取り扱い】については次回を予定しています。

 

【指示語】【不完全文】

 当然ながら、「これら」という指示語があるため、その内容を明らかにしなければなりません。まず、指示語は明らかにする。選択肢も当然、指示語の内容が適切なものを候補にします。

 また、今回の傍線部は、不完全文です。つまり、一文全体ではなく、その一部に傍線が引いてあります。いたって普通の傍線の引き方です。しかし、そうだからこそ、やらなきゃいけないことがある。

 たとえば、

 今回は傍線部中に指示語が存在しますが、実際の出題(東大09)においては、

 これは「定着」あるいは「完成」を前にした人間の心理ということができる

 このように、文の一部に傍線が引かれていて、選択肢は、主語や述語を補ったものになっていることが多々あります。そして、それは指示語との絡みでの出題が非常に多い。意識しておきたい観点です。

 

【対比】

 私は、乃木坂といえば生駒里奈しか認めない。

 この意見に対しては、だれも同意してくれませんでした。単推しの恐怖ですね。

 私は、実は山本彩には興味がない。人気も抜群、歌もダンスも誰よりもできる。いわば完璧な人間だからだ。どこかまだ垢抜けない田舎の子に歌を与え、その子が繰り返し歌って踊る中で育つ、そうやって既存の人気グループを凌駕してゆく様を私は是とする。それを初期の乃木坂で具現化したのがまさに、生駒里奈である。

 ※机上事例のため、私は山本彩さんは尊敬の対象そのものであり、興味がないわけない。寧ろ推しで、卒業は極めて悲しい。

 説得力のある文章とは、対比を意識しなければ独善そのもの。センターは、特に、この対比で設問を作ってくることが多い。今回の問題も、二つ、【対比】を前提とした問題が出題されています。センターに特化した対比対策は、実は簡単で、まず、対比の構造に気づくこと、そして、比べられている二者を特定すること、筆者はどちら推しかを明らかにすること、です。簡単な話ですが、限られた時間で処理を求められる以上は、根拠を本文に求めるにあたって、物差しをもって文章および選択肢を吟味するほうがよいに決まっています。

 

【理由説明】

 ずばり、「なぜか」の問いですが、簡単ではありません。数学のように、なぜならば、とか、よって、だから、とか書いてないんですよ。往々にして。もちろん、あればそこが根拠になりますが、そこだけではなんともならないことがほとんどです。

 理由説明型の問いの趣旨は、「実質論」の発見です。

  アイドル現場は常に情報過多である。しかし、それは特定の個人を意識した場合にいえるのであって、むしろ、G社会の写しである

 Q なぜ、そういえるのか。

 こういう形の問いになることが多い。このためには、「社会の写し」とはなにか、すなわち、「社会」について述べている箇所が必ずあるのでそれをまず探すことになる。もちろん、不完全箇所への傍線部であり、一文全体の主語は、「それ」という指示語になるので、その内容を明らかにする必要もありますよね。最後に、「それ」=「社会の写し」という等式が成立する根拠を探せばよいのです。この3点の作業が、選択肢には含まれます。理由だけ探しても、選択肢を絞り込むことはできない。

 結局、センターにおける、理由説明問題は、まず、「傍線部の解釈」をすることを心がけて下さい。解釈しないと、実質論がどこにあるのか分からないようになっています。

 

 今回の文章で出てきたすべての傍線部の類型について、簡略化して(?)説明するために、次の文章(書き下ろしの机上論です)を読んで、問いに答えなさい(問いはない)。

 我が国では誇るべき文化として、「アイドル」がある。もちろん、我が国のみならず、世界中でそのような文化は数あれど、我が国は独特の発展を遂げ(略)世界に誇る文化に仕立て上げてきた。(略)

 いわば人対人というリアルな人間関係に基づくコミュニティしか場を与えられていなかったわけで、そこで自らの価値観を自由に発現することは、友人関係、親子関係(略)・・・といった具合に、様々な制約を伴うものであり、困難を伴う。しかし、ゼロ年代より、広くネットが普及し、一般の人々が気軽に情報を発信できる土台ができた。それぞれが抱く瞬時の価値観の発現を、それぞれが抱え込まずに、不特定多数に向けて即時発信することができるようになったわけである。(中略)

●ネットは、Aそうやって抑圧のもとに沈黙していた個性を一挙に解放した。

●ネットは、そうやってB抑圧のもとに沈黙していた個性を一挙に解放した。自分の推しを、狭いコミュニティのしがらみから解放させ、自由に発現できるようにしたのだ。これは、多様性を推し進める結果となる。

●ネットは、そうやって抑圧のもとに沈黙していた個性を一挙に解放した。自分の推しを、狭いコミュニティのしがらみから解放させ、自由に発現できるようにしたのだ。これは、C多様性を推し進める結果となる

 人間の価値観とは、誰一人として同じものはない。そのような彼らが、価値観を発現する最大の武器を手にすれば、D社会もそれに応じて拡張を始める。「好き」という究極の抽象語にまとめ上げる過程で捨象されていた微妙な好みの差を、捨象させることなく純粋な「好き」として乱立した社会ができあがったのだ。(略)

 かつては、情報収集手段が限られており、受容する側も限られた情報しか入手しえなかった。中森明菜松田聖子は、団塊世代にとってはまさに雲の上の人で輝く存在であった。しかし、それは、制作側のいわば思い描く偶像の筋書き通りに、限られた情報発信者が発信したやはり偶像に過ぎない。(略)

 もはや制作者側がすべてを管理することを許さない、SNS、握手会のある現在、限られた者の偶像基準では「どのクラスにもいそう」とされている子が、多様な受容者と多様な基準のもとで次々に新たな偶像として受容されている。そのような現場は、Eネットによって生まれたのである。F48人どころか230名(中略)に及ぶメンバーが必要とされるのは、そのような背景による。

 アイドル現場は常に情報過多である。しかし、それは特定の個人を意識した場合にいえるのであって、むしろ、G社会の写しである

 ※それぞれの傍線部が、今回の類型のいずれか(複数)にあたるようになっています。楽しく生徒たちと分析を行いました。

 

 以上、足早に、まとめました。その後は、実際のセンターの問題を用いて問いの分析です。前振り20分+実際の過去問20分で今日の授業は大成功です(笑)