スマホは最高のパートナー
とりわけ中高生を中心とした教育現場では、そんな話がよく聞こえてきますね。
先に結論から言うと、私はスマホ信者でして、スマホのおかげで数百倍世の中が面白くなったと考えています。ついでに、上記のようなスマホを中高生に持たせてはいけない、という論者に対しては、強烈な物言いで恐縮ですが、仮に中高生のある一人が「スマホ中毒」とか「スマホ依存」によって非生産的な困った子になっているのであれば、それは周りにいるスマホを与えた大人の責任そのものであって、当該中高生には責めるべきところはない、と言い切ろうと思います(現に対面でそう言い切ってます)。
それは、大人たちがスマホの正しい使い方をそもそも出来ていないから。子どもは大人の背中を見て育つわけですから。
東大生たちとふれあう機会もありますので、彼らとスマホ談義をしているときに大いに共感するのは、彼らは本当に、スマホと実に生産的なパートナーシップを築いているということです。
※東大生がすべてではないですが、私は、東大に合格したことは十分に胸を張るべきことであると考えておりますので、彼らの所作を参考にすることは、示唆に富むことだと考えています。
かくいう私も、最近、新しいスマホに変えて、私の一日のスマホ操作のログを取ってみたところ、日中は、仕事のコミュニケーション(ただし、メール、LINEなどが多い)+スケジューラー+各種ニュースアプリ+株式情報が合計7割、「2割ほどGoogle検索」、という感じです。
東大生たちと共感を持った部分は、この「2割ほどのGoogle検索」ですね。
電車の中の社内モニターでも、吊り広告でも、あと、ニュースアプリの情報でも、株式情報でも、なんでもそうですが、ちょっと気になることについては、良きにつけ悪しきにつけ速攻検索してちょいと調べる癖があるんです。
例えば、電車の車内モニター広告で、
ご覧になった方、多いと思うんですよ。この犬のCM。
「何の会社?」的なCM打ってて、なんじゃこりゃ?
では、そのCMを車内広告で見た、10分後に、日清紡がどういう会社が説明できる人は果たして、車内に何名いると思いますか。
試しに、東大生にけしかけてみたんですよ。「ほら、あの犬のCM知ってるでしょ?日清紡の」って。かなり長期にわたって車内広告打ってますしね、知らない人はまあ、私がけしかけた東大生にはいませんでした。
で、「何の会社?」って聞いたら、ちゃんと知ってるんですよね。
そこで、「どうやって知ったか」といえば、「Google先生に聞きました」と。
そこがポイントだと、私は思います。
実生活では役に立たない気もするし、もしかしたら死ぬまで日清紡のことなど知らなくても、年収に1円も関わってこないし、些末なことかもしれません。日清紡に限らず、結果的に、なぁんだ、どうでいいや、ってことも調べた結果、「大いに」そうであるほうが「多い」。検索した1分後には、忘れるかもしれません。
しかし、こういうアンテナから不断に入ってくる情報には、たまにとはいえ、日々の生活に何かをもたらしてくれることだってあるわけです。それこそ、面白い漫画に出会った、とか、番宣で面白いドラマに出会えた、面白いことをしている人をみつけた、面白い本に会えた、面白いイベントを知った、気にもかけていなかった会社が実はかなり面白いところであり、就職先になってしまった、なんてこともあるそうです。
もしかしたら、ひょんな広告から「検索」によって見つかった日清紡は有力な就職活動の候補になることだって、ありうるのです(私は、かなり魅力的な事業を行っている会社だと思いますよ)。そうやって「日本郵船」に就職した知り合いもいます。
別に、就職活動に限った話ではなく、こういうアンテナとしても、スマホを活用することが出来ているか(ケータイにアンテナなきいま、それ自体がアンテナになるとは)。
知らない言葉の意味でも結構。読めない漢字でも、なんとか検索できる時代です。最後はその例文まで検索できる時代。ものの1分かからずに。そして、使いこなせば、PCを開く必要すらないことだってままあるのが現代のスマホです。
もちろん、ソシャゲにハマっていることもあるでしょう。それを非生産的だと批判することはたやすいが、単にそれは余暇の価値観の違いでしかない。体を動かさない余暇はダメで、なんて実にくだらない批判です。東大生のデレステユーザーの極めっぷりは尋常じゃないですよ。いいじゃないですか。
ネガティブな面は、どうしても、フォーカスされやすい。スマホ中毒、スマホ依存。こんな記事も目にしました。
こうした注目されやすいネガティブなものを容易に一般化する傾向は、思考エラーの一種です(「暴力ゲームが暴力を助長するという論理」)。学力状況調査がいかなる手法で実施されるかによっても、結果はすぐ変わります。世論と同じです。こうした思考エラーを回避し、状況に応じた妥当な判断を下す力も、実は様々な視点から検討を加える、アンテナに由来するものであると、私は思います。
※正答率の低下が顕著で困ったことだ、と思うのなら、家庭環境も変数にして分析すべきであると思いますね。きっと鑑みられているようには思えません。もしかしたら、学校の教師の教え方に問題があったり、偏差値教育批判はさておいた上で、ひとかたまりの公立校という枠組みでないものでやってみたりすると、違った結果が出るかもしれませんよ。
別に、スマホ信者が東大に行ける、と言うわけでも、もちろんない。要は、スマホ社会は避けることがもはや不可能です。スマホ使えない人は、住みづらい、損をする世の中にもう、なっています。その中で、いかに生産的なパートナーシップを結べるか、そこに議論の的がシフトする時期が来ているように思います。
※スマホ使えない教師はダメな人が多いです(うわ、もっとひどい論理(笑))